【オレンジの疾走と黄昏 ― KTMという名の疾風録】

【オレンジの疾走と黄昏 ― KTMという名の疾風録】





マッティグホーフェンの風は冷たかった。

オーストリアの山間に本社を構えるKTMは、かつて“荒野を駆けるオレンジの獣”として名を馳せたバイクメーカーだった。オフロードを主戦場とし、過酷なダカール・ラリーでの勝利を重ねたその名は、熱狂的なファンたちの間では神話となっていた。

2000年代初頭、KTMは一度倒産の危機を経験するも、ステファン・ピエラーという男の下で蘇る。彼はバイクに情熱を注ぎながらも、実業家としての冷徹さを失わなかった。

「攻めなければ生き残れない」

その信条のもと、KTMは次々と革新を打ち出した。中でも際立ったのが、インドのバジャージ社との資本提携。これにより、小排気量の「DUKE」シリーズが誕生し、アジア市場に“攻め込む”ことが可能になった。これまで欧州のエンスージアストに限られていたKTMが、インドや東南アジアの若者たちに届く存在となったのだ。

「世界で最も成長するバイクブランド」

そう言われた時期もあった。年間販売台数は30万台を超え、売上は過去最高を記録。さらにHusqvarna、GASGASといったブランドを吸収し、KTMは巨大モビリティ企業「Pierer Mobility Group」の中核へと成長していく。

だが、急成長の裏には影が差していた。

過剰な投資、広がりすぎたブランドライン、そして何より、製造・開発のスピードに、品質と供給体制が追いつかなかった

2020年、新型コロナウイルスのパンデミックが襲うと、そのひずみは一気に噴き出した。

部品が届かない。電子制御ユニットが不足する。納期が半年、1年と遅れ、怒れるディーラーたちは声を荒げた。「客が待ってくれない」「KTMの信頼が地に落ちるぞ」。KTM本社の会議室には、怒号にも似た報告が飛び交った。

さらに追い打ちをかけたのは、**環境規制“EURO5”**への対応だった。パワーとトルクで勝負するKTMにとって、環境対応は“足枷”に近い存在。排ガス基準を満たすため、エンジンの再設計や電子制御の改良が必要となり、コストは跳ね上がった。

一方、インドや中国の市場では、ローカルメーカーとの価格競争が激化。KTMの「プレミアム戦略」は通じにくくなり、**“高くて遅れて届くバイク”**というレッテルが徐々に広がっていった。

そして、2023年。KTMは決断を迫られる。

「コスト削減と供給安定のため、一部モデルの生産を中国CFMOTOに移す」

この決断は合理的だったが、ファンやメディアはざわついた。
“オーストリアの誇り”が“中国製になる”のか?
“Made in Mattighofen”というブランドアイデンティティが崩れ始めた瞬間だった。

その頃、KTM社内ではリストラが始まり、開発部門の統廃合も進められた。
だが、それでもなお、明確な方向性を見失っていた。
オフロードを中心に据えるのか。オンロードへ拡大するのか。EVに本腰を入れるのか――

“どれも中途半端”という声が上がり始めていた。


2025年の春。マッティグホーフェンの工場の一角で、古参のエンジニアがひとり、小型のプロトタイプバイクを眺めていた。

「昔はな、エンジン音だけで感情が伝わったんだ」

その声に応える者はいなかった。
KTMは今、再び“選択の岐路”に立たされている。

次なる一手は、電動化か。ブランド再編か。それとも原点回帰か。
オレンジの疾風は、果たして再び世界を駆けることができるのだろうか。

その答えを知る者は、まだいない。

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