【小さなDUKEの大きな野望 ― KTMとインドの出会い】

【小さなDUKEの大きな野望 ― KTMとインドの出会い】




マッティグホーフェンの冬は長く、空気は張り詰めるように冷たい。
だが、その小さな町の工場で、一つの「世界戦略バイク」が静かに胎動していた。

KTM。
その名を耳にすれば、多くのバイク好きはダカールラリーでの勇姿や、荒野を駆けるオフロードマシンを思い浮かべるだろう。
だが、2007年当時のKTMには、未来を担う“鍵”がまだ存在していなかった。

彼らには**“都市の若者たち”に響く小型バイク**がなかったのだ。


■ 2007年:出会い

その年、KTMのCEOステファン・ピエラーは、南アジアに目を向けていた。
ヨーロッパ市場は成熟しきり、二輪車の販売は頭打ち。
一方、アジアではインドを中心に小排気量のバイク市場が急成長していた。

「インドを無視してグローバル戦略は語れない」

そう語る彼が注目したのが、インド最大級のバイクメーカー――**バジャージ・オート社(Bajaj Auto)**だった。
彼らは50cc〜250ccの小型バイクを大量生産し、インド国内だけで年間数百万台を売る企業。
価格競争力、生産能力、ディーラーネットワーク、すべてが整っていた。

ピエラーは直ちに提案を持ちかけた。

「我々と手を組まないか? インドでKTMを作るんだ」

バジャージの幹部たちは一瞬戸惑った。オーストリアのプレミアムブランドが、インドの工場で生産?
だが同時に、彼らも“ブランド力の壁”にぶつかっていた。

安くて実用的なバイクは売れても、憧れの存在になることはなかったのだ。

「KTMのバッジを付けたスポーツバイクを、インドの若者が手に入れたら――きっと夢中になる」

両者の利害は一致した。

2007年末、バジャージはKTMに初めて出資し、正式に提携が発表された。


■ 開発:DUKEの魂を軽量に

「125ccでも、KTMの名にふさわしいバイクを作れ」

それが開発チームに与えられたミッションだった。

KTMは徹底的にこだわった。
フレームは軽量なトレリス構造、前後にはWPサスペンション、ブレーキはBYBRE(Bremboのサブブランド)、さらに倒立フォークと液晶メーターまで搭載。

「本物のストリートファイターを、エントリーユーザーに」

プロジェクトコードはDUKE 125
その名は、1994年に登場した初代620 DUKEにちなんでいる。
“公道に現れた王族(デューク)”という称号は、小排気量モデルにも受け継がれた。

開発はインド・プネーとオーストリア・マッティグホーフェンの共同。
現地生産ながらもKTM基準のクオリティを貫き、価格を10万円単位で抑えるという難題が課された。


■ 2011年:デビュー

2011年秋、インドで初めて**「DUKE 200」**が発売された。
インドでは125ccよりも200ccの方が保険制度の枠内で自由が利き、実用性と若者の「走りたい欲望」を両立できると判断された。

DUKE 200の発売日は、まるで祭りのようだった。
オレンジのボディを纏ったバイクが、街中を駆け抜ける様子は、それまでの実用バイクとはまったく異なる。

「何だこのバイクは…」

若者たちは驚き、憧れた。
125ccクラスなのに倒立フォーク?
液晶ディスプレイ?
音が、加速が、姿勢が、違う。

KTMというブランドが“手に届く存在”になった瞬間だった。


■ 世界展開:オレンジの拡散

このDUKE 200を皮切りに、KTMは同じプラットフォームで125 DUKE、390 DUKEを開発。
125はヨーロッパの若年層向け、390はグローバルでのエントリー〜中型ユーザーに向けて販売された。

特に390 DUKEは、欧州や日本、東南アジアでも**「走れるライトウェイトマシン」として高評価**を獲得。
軽さとパワーのバランス、シャープな外観、安定した価格――そのすべてが評価された。

2015年にはRCシリーズ(フルカウルスポーツ)も登場し、小排気量スポーツバイク市場を一変させた。
この流れに他社(ヤマハYZF-R3、カワサキNinja 400、スズキGSX250R)も追随し、“エントリー・スポーツバイク時代”の扉が開かれた。


■ 遺産と課題:DUKEの進化とKTMの転機

KTMはDUKEシリーズによって「グローバルブランド」へと飛躍した。
2020年には年間販売台数30万台を突破し、バジャージとの関係は盤石となった。

だが、それは新たな課題の始まりでもあった

生産拠点はインドと中国(CFMOTO)に移り、かつての「Made in Austria」の誇りは薄れつつあった。
また、過剰なラインナップ、ディーラーの疲弊、供給遅延など、急成長による「ひずみ」も生じた。

それでも、DUKEが切り拓いた市場は大きかった。

「小さな排気量でも、本物のライディングができる」
その価値を世界中の若者に教えたブランドは、他にない。


■ 結び:オレンジの火は、まだ消えていない

2023年、DUKEシリーズはフルモデルチェンジを迎えた。
よりアグレッシブなデザイン、改良されたエンジンとシャシー、そして次の時代を見据えたEV構想。

KTMは今、再び“変化の中”にいる。
だが、あのオレンジのDUKEが示した「若者の夢と機能の融合」は、いまなおバイク業界の光となっている。

マッティグホーフェンの風は今日も冷たい。
だが、そこから生まれたオレンジの王子は、これからも世界中の路上を疾走し続けるだろう。

コメント

人気のオートバイ