インドの鼓動、世界へ ― Bajaj Autoという巨人の正体
インドの鼓動、世界へ ― Bajaj Autoという巨人の正体 かつてインドの路地裏を走っていたのは、三輪のオートリキシャと小さなスクーターだった。ホーンの音が響き、白い煙をまとって走るその乗り物の大半が、Bajaj(バジャージ)という一つの企業によって作られていた。だが今、彼らが目指しているのは、ただの国内メーカーではない。電動化の嵐が吹き荒れる世界のモビリティ市場で、アジアから世界を変える旗手となるべく、Bajaj Autoは大胆にその姿を変えつつある。 本記事では、そんなBajaj Autoの過去、現在、そして未来の戦略に迫っていく。 創業からの道程 ―「中産階級の足」だった存在 Bajajの歴史は、インドの独立と共に始まる。1945年にJamnalal Bajajによって設立された同社は、当初は二輪・三輪車の輸入販売を手掛けていたが、やがてライセンス生産へと移行し、イタリアのピアッジオと提携。これにより、「Vespa」ブランドのスクーターが、バジャージ・チェトク(Chetak)というインド版として大量に生産されることとなった。 1970年代から80年代にかけて、Chetakはインドの家庭に「移動の自由」を提供する象徴的な存在となり、結婚持参品の一つとまで言われた。当時のインドでは新車を手に入れるまで数年待ちという状況であり、Chetakの納車は家族にとって人生の転機だった。 民族資本からグローバルプレイヤーへ ― KTMとの運命的邂逅 2000年代に入り、インド経済の自由化と共にBajajは次のステージへ進む。スクーター主体だったラインアップから脱却し、スポーティなバイク市場へ参入。その中でも最大の転機となったのが、2007年の KTM(オーストリア)への資本参加 である。 当初14.5%だった保有比率は徐々に高まり、2025年現在では KTMの親会社であるPierer Mobility AGの筆頭株主 にまで上り詰めた。これにより、 KTMの開発力×Bajajの製造力 という最強タッグが誕生する。インド・プネーの工場で製造されたDUKEシリーズ(125/200/390)は、欧州や東南アジア、南米などに輸出され、世界で“インド製プレミアムバイク”という新しいカテゴリを築いた。 また、KTMの傘下であるHusqvarna(ハスクバーナ)の量産化にもBajajは...