『風のゆく先へ ― 六十歳の男、旅のはじまり ―』

 



納車された翌朝、私はコーヒーを淹れながら、思い出すようにため息をついた。

昨日の興奮が、まだ身体のどこかに残っている。胸の奥、あるいは肩の後ろあたり。深く息を吸うと、あの新車のオイルと革の匂いが鼻腔に蘇った。

「どこへ行こうか」

自然と、そんな言葉が口から漏れる。

それは「走りたい」というより「会いに行きたい」気持ちに近かった。

バイクとは不思議なもので、乗る人間の内面がそのまま走りに出る。たとえば若い頃の私は、速度や見た目ばかりを気にしていた。とにかく誰かに見せびらかしたかった。だが、今は違う。誰に見せるでもなく、どこに行くかも明確ではなく、ただ“走りたい気持ち”が、胸の奥からゆっくりと広がってくる。

私は地図を広げた。紙の地図だ。

今どきスマホでナビもできるが、こういう時は紙がいい。指でたどった線が、そのまま夢の軌跡になるような気がするから。


■目的地は「行ったことのない道」

私が目をとめたのは、南へ抜ける峠道だった。

「道志みち」と書かれたそのルートは、かつてバイク雑誌で紹介されていた記憶がある。東京と山梨を結ぶワインディングロード。山と川に挟まれ、カーブの連続が続く、美しい自然の中の一本道。

若い頃、一度行きたいと思っていたが、いつの間にか忘れていた道だ。

「今なら行ける」

そう思うと、胸が高鳴った。

目的地は、道の駅どうしにしよう。峠の途中にある休憩所で、ツーリングの聖地とも呼ばれている。そこまで走って、昼に温かいそばでも食べ、夕方には家に戻ってくる――

ただそれだけの小さな旅だ。

だが、その一歩が、とてつもなく大きな冒険に感じられた。


■出発前の朝

出発は早朝にした。

バイクに乗るとき、朝の空気ほど清らかなものはない。車も少なく、まだ世界が目を覚ます前の静けさの中で、エンジンの音だけが自分の存在を確かめてくれる。

私は5時に目覚め、軽くストレッチをし、バイク用のインナーを身につけ、革ジャンを羽織った。新しく購入したグローブも、しっかりと手に馴染む。

ヘルメットをかぶると、視界が一段と狭くなる代わりに、集中力が研ぎ澄まされる。まるで仮面をつけた戦士のように、世界との境界線がくっきりと分かれる感覚だ。

エンジンをかけると、昨日よりも音が柔らかく感じた。私の心が少しだけ落ち着いていたからだろうか。あるいは、このバイクがもう、私のものになったという証拠かもしれない。

「行ってくる」

玄関先でそう呟くと、まだ寝ている妻に聞こえたかはわからないが、不思議と心は静かだった。


■最初の信号で思ったこと

家から出て、最初の信号で止まったとき、ふと不安がよぎった。

「このまま、峠道なんて走れるのか?」

歳のせいだろうか。それとも、何十年ぶりのツーリングという事実に気圧されたのか。

しかし、青になり、クラッチを繋ぐと、そんな不安はスルスルと後ろに流れていった。

バイクが私を連れていってくれる。

そう思えた瞬間、心がすっと軽くなった。

走りながら、若い頃の記憶がふと蘇る。大学時代に友人と二人乗りで出かけたキャンプ。社会人になって最初に手に入れた中古の250cc。あの頃の自分は、まさか60歳になって、再びバイクと出会えるとは夢にも思っていなかった。


■道志みちへ

市街地を抜け、やがて山道に入る。

木々の匂い、肌を打つ風、道端の苔、斜面に咲いた小さな白い花――すべてが五感を揺さぶる。

登りのヘアピンカーブではギアをひとつ落とし、慎重にアクセルを開ける。下りではブレーキのタイミングを早めに取る。そうした一つ一つの操作が、心地よい“対話”のように思えてくる。

やがて道の駅どうしが見えてきた。駐車場には、若者から熟年ライダーまで、さまざまなバイクが並んでいた。

私は空いている隅にそっと停めた。

エンジンを止め、ヘルメットを外すと、汗と一緒に、身体中から何かが抜けていくような気がした。


■昼のそばと、若者の言葉

食堂で頼んだ「山菜そば」は素朴な味がした。

食後にベンチで休んでいると、隣に停めてあったネイキッドバイクの若者が声をかけてきた。

「カッコいいですね、そのバイク」

私は照れながら「ありがとう」と答えた。

「長く乗ってるんですか?」

「昨日、納車されたばかりなんだよ」

そう答えると、彼は驚いた顔をした。

「うわ、それって……最高ですね。これからが一番楽しい時期じゃないですか」

私は思わず笑ってしまった。

60歳で「これからが楽しい」と言われることが、こんなにも嬉しいとは。


■帰り道、静かな幸福感

午後の陽が山の向こうに傾き始めるころ、私は帰路についた。

来た道を戻るだけのはずなのに、景色が違って見える。木漏れ日が柔らかく、路面の影が伸びている。

1年前、私はこの日を夢見ていた。

あと何年、このバイクと走れるかはわからない。けれど、今日という一日を「最高の一日」と思えたこと、それが何よりの収穫だった。


■帰宅と、妻の笑顔

家に着いたのは夕方5時過ぎ。

玄関を開けると、妻がキッチンで湯気の立つ味噌汁を作っていた。

「おかえり」

その声に、私はたまらなく胸が熱くなった。

「無事帰ってこれたよ」

まるで小学生が遠足から戻ったような口調だったかもしれない。

でも、それでいいと思った。








■走ることで得られるもの

この日帰りツーリングで、私は何を得たのか。

景色か。食事か。若者との交流か。

たしかに、それらはどれも素晴らしかった。

だが、最も大きかったのは「自分の中の変化」だった。

走ることで、自分と向き合えた。

歳を重ねても、まだ新しいことを始められる。

恐れずに、ひとつ踏み出せば、世界はまた広がっていく。


■その夜、眠る前に

その夜、布団に入る前に、私は机の引き出しから地図を取り出した。

次はどこへ行こう。

今度は一泊でもいいかもしれない。

キャンプ道具も揃えてみようか。

あるいは、妻を後ろに乗せてみようか。

そんなことを考えていたら、眠気が静かにやってきた。

次のツーリングの夢を見ながら、私は心地よくまぶたを閉じた。

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